山口嘉夫先生のお叱り


○ 山口嘉夫先生のお叱りの言葉を思い出したので、うろ覚えだが、ここに記録しておく。 山口先生は日本の素粒子物理学をリードされた高名な教授である。名前を聞くだけでも畏まる大家である上に、相当の毒舌と噂されて、恐れられていたと云う。筆者には、先生の講義を垣間見た記憶がある。先生は次のように云われた。

諸君は、ここにいるぐらいであるから、僕の講義なんか聞いても仕方がないだろう。世界には名著が一杯あるからそれを読めばよろしい。物理なんてそうやって自分で勉強するものである。従って、僕は講義はしない。講義時間の半分は遅刻し、後の半分は、煙草を吸いながら世間話をするから、そのつもりでいてくれ。

その世間話は、二重振り子でノーベル賞を取り損ねた話などであったと記憶している。沢山の講義の中で、山口先生のお話を一番思い出すから不思議なものである。

本題に入る。

もう大分昔の事で時期はよく覚えていないが、東京の大きな会議場で何かの大きな式典があった。KEKからも大勢の方が参加されていた。

開会の挨拶にKEKの有名な教授が壇上に立ち、大きなスクリーンにOHPを映し出して、話をされた。 しばらくすると、演壇の正面前列に坐るある方が手を挙げられて、大きな声で、「M君」と話を遮った。その太めの声と、独特の調子から、最後列にいた私には、それが山口嘉夫先生であるとわかった。


君は何を話そうとしているんだ。そこに何が書いてあるのか、僕にはゼ〜ンゼンわからない。 そんな小さい字は、人に見せるためのものじゃないだろう。 僕の目が悪いのかもしらんが、マッタクわからない。

確かに、スクリーンに映し出された数行の文字は、A4に10pか12pでうち出した普通の書式であり、当然ながら、後列の私の所からは、その文字は判読できない。

君のようにエライ人がそんな事でいいのかね。人が読めないようなプレゼンテーションをこうした場所でするべきではない。KEKにはもっとましなプリンターはないのかね。出直してきたらどうか。

と、独特の粘りのあるダミ声でお説教が続く。いつも自信に満ちている壇上の先生も、云われてみれば弁解の余地がない事だけに、苦り切った表情で、まあまあと話を終えられたと記憶している。

内容はさておき、見やすく判読しやすいプレゼンテーションを意識したのは、山口先生の苦言を聞いた後の事である。



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