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: 3. 1 GeVリニアックのデザインと開発研究 : 2. 40 MeV 陽子リニアックのデザインと建設 1985年 : 2.3.5 40MeVへの延長工事   目次   索引

2.4 建設後

 一般的にみれば苦労をして、リニアック延長に自分では相当貢献したと考えていた私ではあるが、いずれにせよ、1986年の次期陽子加速器計画のリニアック部門から、私は、はずされていたのである。1年前のリニアック延長に際して、相当の役割を果たし、結果として、立派なリニアックを短期間の間に建設したにもかかわらずである。あれから20年が経つが、私がデザインして、チューニングした40 MeV リニアックは、当たり前と言えば当たり前であるが、いまだに立派に稼働している(2006年にPSはシャットダウンした)。ところが、そうした仕事をした私は次期リニアックデザインからはずされている。しかも、出版された論文のデザインは、私が解読し、必要な部分を相当量書き加えたソフトを、私には無断で使って行われていた。
私の卒業した高校の旗印は次のごとくであった。

自ら顧みてなおくんば
千万人と言えども我往かん

私をはずした原因は、色々な理由があろうが、一つの理由は、彼らのデザインに私が賛成しないという点であったと推測する。ならば、道は一つしか残されていない。私の考えでは公表されたデザインは無謀の極みである。従って、学問的に彼らのデザインに反論する事が必要である。ここで主張し、粉砕しなければ、研究者としての責務を果たしたとは言えない。


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