大型の加速器において、リニアックのビームは、単独でそのまま利用する事は少なく、リニアックの後に設置される円形の加速器に入射して、更に加速を続け、エネルギーを高くしてから、様々な用途に利用するのが一般的である。この意味でリニアックを入射器と呼ぶ事がある。加速器で難しい所はビームが入射する部分とビームを取り出す部分と言われている。わかり易いかどうか、入出射部分を例えて言えば、ビームから見れば、周囲の環境があまりに急激に変化するので、それに追従していけない部分が出てきてしまうという事だろう。そのついていけない部分は、落伍者としてビーム損失となってしまうか、あるいは、かろうじてついていけても、ビーム全体の性能の劣化を招く。中学から高校へ進学するときには、環境が大いに変わる。それに対応できない生徒は、入学試験に落ちるか、あるいは、入学しても、その後の学業からはみ出てしまうといったところであろう。このように考えると、対策としては二つの方法がある。
1. 環境の変化をスムーズにする。これは、中高一貫教育みたいな方法である。
2. 適切な勉強をしっかり行って、自分を変化させ、次の体制にフィットしやすく改造すればよい。
さて、加速器の世界でもこれと同じ類いの方法が試される。第1の方法に関して、環境がスムーズという事を、加速器物理の言葉で表現すれば、断熱的変化やマッチングに対応させる事が出来るだろう。断熱的な変化は、現象的にはゆっくりと変化させる事を意味しているので、その為の経費がかかり過ぎるという事ならば、出来るだけスムーズな運動が可能となるようなデザインをするという感じである。加速器物理でよく使われるマッチングは、自分と環境の相対的な変化がスムーズである事を示す指標である。
さて、リニアックから円形加速器へビームを入射させる場合には、上の二つの方法を併用する。第1の方法としては、ビームをマッチングさせるという事であるが、これは本論の範囲外なので省略する。ここで取り上げるのは第2の方法である。この方法を実現するための道具として、チョッパーが活躍する。この部分の話は、現実を例にするとわかりずらいので、以下に例え話をしよう。
問題:類推:ビーム入射及び荷電変換入射の例え話
皇居のまわりの円形のお堀に、8隻の船が等間隔で円形に配置されており、一定のスピードで円運動しているとしよう。32人が走るマラソンのゴールが半蔵門に設定されており、ゴールした走者はそのままお堀に飛び込む規定である。まだ真冬なので、冷たい水の中へドボンするよりは、できれば廻っている船の上に走り込んでおいしい水か熱いお茶を飲みたいものだ。どのようにすれば、32人が最短時間で平均的に船に乗れるであろうか。但し、船に同時に飛び乗る事が出来る人数は2人を最大とする。各船の収容定員は40人以上ある。
模範解答例:
設定1:二人ずつが組になって、並走しながら、ゴールする。
設定2:16組のグループは、等間隔を保ちながら、同じスピードでゴールする。
設定3:隣り合うグループの間の時間間隔は、2隻の船が、半蔵門を通過する時間間隔に等しい。
設定4:優勝グループと8隻のどれかの船のタイミングと位置が適切にあっており、うまく船に飛び乗れる。
このような4条件を設定すれば、船がお堀を二周する時間内に、各船は、合計4人のランナーを収容する事になる。結果として、最短時間内に平均化して乗船している。
まずい解答を考えてみよう。
悪例1:一人で走っているランナーがいると、本来ならば二人が同時に飛び乗れるところを一人しかゴールしないという結果になるので、全体としての乗船時間が長くなってしまい、これは効率が悪い。3人以上で走っている場合には、必ずドボンするランナーが生じてしまう。
悪例2:グループ相互の間が一定間隔でない場合には、最初のグループはうまく飛び乗りできるが、その後のどれかのグループはお堀にドボンする事になり、失敗となる。これは、グループ間の距離、あるいは走行スピードが違っても、同じような失敗を生む。お堀を周回する船団が乱れていても、同様にドボンを生んでしまう。
悪例3:グループの間隔は一定だが、その間隔が短い場合はどうであろうか。2隻が通り過ぎる時間内に、全員がゴールしたとしよう。ピンとキリのグループが乗船出来たとすれば、残りの14グループの28人はドボンという結果となる。
以上の話を加速器に置き換えてみよう。マラソンランナーはリニアックビームである。お堀は円形加速器で、周回する船は、ビームを捕獲するための電磁波の波である。お堀にドボンという事は、ビームが安定軌道からはずれてしまい、ビーム損失となる事を意味する。高エネルギー陽子加速器では、こぼしたビームは、周辺の猛烈な放射化をもたらすので、ビーム損失は最大の難敵とされている。
さて、リニアックビームと円形加速器の実際の関係は、悪例3と類似している。リニアックと円形加速器がそれぞれとして最適なデザインを行えば、結果としては、円形加速器が受容出来る以上のビームを、ある時間内にリニアックは供給してしまうのである。その場合には、悪例3のような悪いタイミング関係になってしまう。リニアックと円形加速器のそれぞれのエネルギー効率を最大にする事は、非常に重要な要求である。ドボンがないようにそれぞれの仕様を大幅に変更しては、加速器として成り立たなくなってしまうので、夫々のデザインを変更する事は出来ない。そこで、円形加速器が受け付けられない部分のリニアックビームに対して、一般には次のような対策を考える。即ち、高エネルギーにビームを加速してから後のビーム損失は、周囲の放射能汚染が大きくなるから是非とも回避すべきである。従って、低いエネルギーのあいだに、その部分をカット(チョップ)してしまえば良い。この働きを持つ加速器のデバイスがチョッパーと呼ばれるものである。悪例3の場合、14組のグループは、レースの前半で棄権させてしまい、ゴールに飛び込むのは、最初と最後のグループだけとするのである。隣合うグループの間に何らかの強い相互作用が無い場合には、ゴールする先頭と最後尾の2グループのリニアック中での運動は、チョップにより変化する事はない。この場合、スタートしたランナーの中でゴール出来るランナーの割合は、4/32=12.5パーセントである。加速器の言葉では、これを入射効率と呼ぶ。実際のチョッパーは入射効率55パーセント程度で運転するので、あまりにひどいビームの捨て方をしているというわけではない。逆に、加速する粒子が45%少なくなるので、リニアック加速に必要となるエネルギー(高周波電力)が少なくなるという利点が生じる。
荷電変換入射
上に挙げたマラソンランナーの乗船法では、1隻の船に合計2回の飛び移りを試みている。従って、最終的に4人のランナーが同じ船に乗っている。船の定員が多い場合には、定員一杯まで乗船させると輸送効率が向上する事が類推される。リニアックビームを円形加速器に入射させる時には、こうした方法を採用して、円形加速器内のビーム強度を増大させる。加速器用語で言えば、マルチーターン入射である。船が何周かお堀を廻る間にちょっとずつ乗り込んで、最終的には定員に達するまで乗り込みましょうという事である。
次に、非常に重要且つ難しそうな事について述べる。どの様にして、リングの周回ビームと、リニアックからの入射ビームを合体させるかという問題である。面倒だと思われる方はスキップされても良いでしょう。
円形加速器ではビームを円形に走らせる。ビームに円軌道を描かせる為には、磁場を利用する。一定の強さの磁場の中では、一定のスピードで動く荷電粒子は円を描く。磁場の向きが変われば、反対方向に回る円運動を描く。即ち、磁場の向きにより、曲がる方向が逆転する。同様に、電荷の符号が変われば、曲がる方向は反対になる。これは、磁場から粒子が受ける力の方向が逆になるからである。
今、周回しているビームが乗っている船に、新たにマラソンランナー(ビーム)を外から乗せる場合を考えてみよう。荷電粒子がドボンしないように、周回するビームにドッキングさせるには、外からの荷電粒子の運動の向きを変えて、周回するビームの運動方向と一致させなければならない。図5.1をみてほしい。
大きな円形加速器なので、合体するビームの軌道部分を拡大して上から見る。ビームの入射部分は実際には複雑であるが、原理的な事を問題にするので、簡単の為に主要な偏向磁石(ビームの運動方向を変えるための磁石)2個とビーム軌道を書いている。磁石-1により、周回ビーム(A)を円軌道の内向きに、入射ビーム(B)を外向きに変えて合体させたあとで、磁石-2により、両方を内向きに変化させて、周回ビームの安定軌道に戻している。ここで不思議に思われる事がある。磁石-1では、周回ビームと入射ビームは反対の方向へその角度が曲げられているが、磁石-2では、同じ方向に変化している。強力な電磁石は形が大きくなってしまい、磁石-1の中で、磁場の向きを反対にする事は不可能である。同じ磁場を使って、どうやって曲がる方向を変えているのか。実は、図の中心位置に設置されている炭素膜にこの秘密がある。これは炭素の薄膜であるが、陰電荷を持つ水素原子の電子をはぎ取って、陽電荷を持つ水素原子(陽子)に変化させる働きをしている。即ち、二つの磁石の間で入射ビームの荷電を変換させる事により、周回ビームの軌道に入射ビームをうまく乗せる事ができるのである。プラス電荷の粒子とマイナス電荷の粒子は、磁場により曲がる方向が逆なのである。こうして荷電変換多重入射という巧妙な方法が成立している。この方法では、周回ビームは何度も炭素薄膜を通過する事になる。薄膜の厚さは充分薄くなっており、粒子が通過しやすくなっているので、致命的な問題は生じないが、いくつかの考慮すべき課題は生じる。
○水素イオンについて:水素分子(普通に水素と呼ばれるもの)は水素原子が2個集まって出来ている。分子が分解して出来る水素原子は、中心の陽子とその周りに存在する1個の電子により構成される。一般に水素のイオン状態とは、水素原子から電子が1個はがされた状態である。電荷はプラスであり、これは陽子()と呼ばれ、通常水素イオンと呼ぶ場合は、プラス電荷の陽子を意味する。イオンビームを作り出す所をイオン源とよぶが、プラス電荷の水素イオン源は、相当に研究歴が長く、現在では容易な技術とされている。陽子に1個の電子を加えると中性な水素原子となり、更に1個の電子をくっつければ負水素イオン()となる。荷電変換入射法により、円形加速器への入射ビーム強度を増大される事が提案されて以来、負水素イオン源は一躍脚光を浴びた。その開発研究の歴史は相当になるが、ビーム強度が強く、加速に適したビームとしての性質を持つ負水素イオン源は、いまだに開発途上である。J-PARC の初期仕様を満たす負水素イオン源はいまだに開発されていない。