前章により、リニアックの低エネルギー領域で、ビームをチョップする必要性を御理解いただけたかと思います。チョッパーでは、間引く時間長さに相当するパルス状の電場あるいは磁場の力を利用して、間引くべきビームの部分を横方向にけり出します。加速器は電場と磁場の力を利用しますので、その性質を簡単に説明しておこう。電荷をq、電場を E とかけば荷電粒子が受ける力Feは、
と書ける。磁場を B、荷電粒子のスピードを vと書くと、磁場が及ぼす力Fbは、
である。電場の及ぼす力には、粒子の速度は無関係で、向きは電場の方向であるが、磁場が及ぼす力は、速度と磁場の積に比例していて、その向きは、磁場の方向と速度の方向に直角である。電荷の符号により、力の向きは逆転する。この事から、速度が遅い場合には、一般的に言って、磁場を利用する時の効率は低下すると言って良い。逆に言えば、低エネルギーでは、電場の効率が相対的に上昇する。従って、低エネルギーでは電場を使う方が効率的な場合がある。力の簡単な比較をしてみよう。両者の力が等しい Fe=Fbとおけば、
を得る。陽子の低エネルギー領域での粒子速度の代表値として、高速の4%と考えよう。光速は30万km/sec =なので、1秒間に1万2000 km進む陽子を考えるという事だ。随分と速いじゃないかと思うかもしれないが、エネルギーとしては50 keVに相当し、低い領域に分類される。この時は
となる。実用からみて、B の強めの大きさを1テスラ(10 kガウス)とすれば、電場の値は V/m = 12 MV/mとなる。
参考:
1ms==千分の1秒
1ms=マイクロ秒==100万分の1秒
1ns=ナノ秒==10億分の1秒
チョッパーに要求される仕様
要請されるビーム構造を図に示した。まず、大きなビーム区分は20ms毎にあるビーム長さ500マイクロ秒である。これより、ビームの繰り返し周波数は50ヘルツとなる。この構造はイオン源で作られる。次に、500マイクロ秒の長さのビームは、455ナノ秒毎のミクロパルスにチョップされる。この構造をチョッパーで作り出す。チョップされるビームとビームの間隔は358ナノ秒である。これは相当に短い時間である。物事が変化する場合には、必ず過渡期(過渡状態)というものがある。チョッパーが働く場合にも、過渡期を経て、フル運転の安定状態に到達する。チョップビームの過渡期に要求する過渡時間は10ナノ秒というものであり、唖然とするような速さといえる。仮に、この過渡状態のビームを全てロスしてしまうとすれば、一つのミクロパルスについて、20/455=0.044、即ち4%ものビームロスを生んでしまうから、これでは加速器全体としては、放射化が進んでしまって、使い物にならないという結果となる。従って、チョッパーでは、充分な立ち上がり速さのうちに完全に分離できるように充分強くけり出す必要があり、過渡状態部分については、微細なチューニングと対策が必要となる。
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静電場と高周波の電場
高周波電波は、周波数を持ち、その周波数で決まるサイクル(周期)に従って、電場と磁場がサイン波状の変化をしている。従って、ある場所の電場の向きはその周期で逆転している。一方、静電場では、電場の方向は一定である。周波数がゼロと言ってもよい。チョッパーに採用する電場として、静電場と高周波電場の両方が考えられる。しかし、そのように考えるのは、実は筆者だけで、世界中のほとんどの所では静電場を使う事を試みている。
静電場を使う最大の長所は、立ち上がりスピードが極めて速い電源が出来そうだという点にある。実際にそのような電源が製作可能であり、長期にわたり安定に運転できるかどうかは、別の話と筆者は考えている。筆者はKEK PSに長く所属して、加速器の実際の運転状況にまじかに接してきた。そうした長い経験の中で、真空中で、高圧の静電場をパルス的に使う場合、機器故障の頻度が実に高いという事を思い知らされた。この場合、機器そのものの故障と電源の故障とが、両方とも多いのである。おまけに、そうした機器はビーム損失が多い部分に使われている。その意味は、周辺の放射線強度が異常に高くなっているという事だ。そうした機器の故障の場合、物理実験再開の為に、とにかく早く修繕する必要があるので、特攻隊を組織して機器の交換作業を行うのであるが、各個人の作業時間は数分しか許可されない程度に強い放射線環境の事もあった。重故障の場合には、加速器の停止は数日に及び、結果的に加速器稼働率を大幅に下げる事になる。パルス高圧静電場は鬼門と考えている。
高周波チョッパーシステムの故障率が低い理由
それに引き換え、高周波電場の場合、きちんと作れば機器の故障はほとんどない。叉、ある程度の出力を持つ電源で、半導体で作られている場合には、一年間にわたり故障ゼロという事もまれではない。高周波大出力半導体電源では、個々のモジュールの出力はたかだか1kW程度と小さいものである。次に、数十個のモジュール出力を、立体回路を使って損失等が少ないように合成して大出力を作る。その合成器は、受動素子と言って電源がない機械的な作りであるから、電気的な故障は起こりにくいのである。ところが直流の高圧電源の場合には、出力に応じて高圧部分の電圧を高くしなければならない。ここに高周波高圧半導体電源がこわれにくい理由がある。放送局仕様の半導体高周波電源はすこぶる性能が良い。従って、筆者にとっては慣れている高周波を使うチョッパーは非常に魅力的に見える。
それでは、静電チョッパー推進派は、高周波チョッパーに対してどんな批判をするのであろうか。
1. 高周波空洞の場合、Q値というものがあり、固有の立ち上がり時間が遅くて、仕様を満たさない。
2. 立ち上がりの速い電源など不可能である。
これらは、正しい批判ではあるが、実はこうした批判に対する対策もあったのである。
筆者が高周波チョッパーを考え始めた時に、PS リニアックで使っているNEC製半導体高周波パルス電源の立ち上がり時間を試みに測ってみた。速い立ち上がりを持つ入力波を作りテストしたのだ。なんと出力波形の立ち上がりは10 ナノ秒程度と異常に速い。この電源は、特別に速い仕様で製作したものではなかった。簡単に、テレビ放送用の電源を流用したものであり、故障も皆無である。NECの底力のようなものを感じてびっくりしたものだ。
次に、高周波チョッパーの場合には、ある秘策があった。これは、諸々の事情を考慮して、実際に作り、実験するまで公表しなかったのであるが、事実、この秘策のおかげで私が作った高周波チョッパーは優れた性能を示した。私の論文上では、微妙な表現を使いわける事によりわかる人にはわかるような書き方をしていたが、うっかりすると、私の信頼する同僚まで、文脈を取り違えるような事もあった。いわゆる立ち上がり時間は、ある一定の強度を持つパルス入力に対して、空洞内電場が最大到達電場の何%まで達する時間として定義する。チョッパーの場合に、必要な立ち上がり時間は、実は、ある一定の空洞内電場レベルまでの到達時間でよいのである。空洞の立ち上がり時間は、空洞の性質を表す単なる目安に過ぎない。にもかかわらず、世の中の多くの人は次のような言い方をして何の疑問も持たなかったのである。
「空洞のQ値で決まる固有の立ち上がり時間以上には速く出来ないので、高周波チョッパーの性能は低くならざるを得ない。」
このように断言されると、断言を聞いた方もそんなものかと思ってしまう。確かに、述べている事自体は正しいので、その論点のすり替わっている点に気付くのは意外と難しい。問題は空洞の特性を表す立ち上がり速さではなくて、その空洞を使ってある電圧レベルまで到達する時間なのであった。
従って、入力電力を大きくすれば、空洞電場のあるレベルまで到達する時間として定義される立ち上がり時間はいくらでも速くなる。一方、静電場の場合には、高電場に伴う放電の問題とあまりに高圧な電源は製作不可能という問題があるので、実用上の電場強度に意外と低い制限がある。これに反して高周波電場の場合には、放電限界が大幅に向上するので、電源電力の増強により、非常に強い(これはデザイン上で横にけり出す為に必要となる電場強度に比較しての意味)高周波電場が簡単に実現出来てしまうのである。