経費あるいは予算の問題
(本稿は著者の推理をまじえて書いております事を、予め御了承願います)
経費あるいは予算の問題は、大規模科学になればなるほど、大問題となる。一つの科学技術分野に相当額の予算が配分される裏には、要求予算が得られずに、研究費不足に追われる数多くの小規模研究分野が存在する。夫れ故に、大規模科学研究の経費は、自他双方から厳しく査定されなければならないだろう。残念ながら、J-PARC加速器計画では、計画の中途段階で、必要経費が大きく膨らむ事態となった。この問題については、「加速器出力特別委員会」が作られて、その結果が報告されている(平成16年:2004年)。次に掲載するのは、報告書の原案段階の文面である。
報告書(案)(2004年)
これを読めば、J-PARC建設の責任ある人々が、どのように経費増大を考えているかがわかる。注意する事は、ここに書かれている内容は、事実経過の一面を書いているのであり、これらが、真実を代表しているかどうかは、別の問題である。之を読み、次に、
次節に掲載する「 J - PARC 加速器問題検討会の答申骨子(2006年)」 を比較して読んでみると興味深い。
なお、「報告書(案)」のリニアックに関する部分については、科学技術的な間違いを含めて、多くの誤りがあるので、 「リニアック部分の問題点について」 に述べる。
予算途中で経費が膨らむように見える最大の原因の推定:
予算獲得の前段階では、ほとんど絶望的に不足となる予算の総枠(文部省で割り当てる)というものがあるらしい。従って、(研究所の)概算要求担当者は、下から積み上がって来たプロジェクトの概算要求に対して、何の理屈も根拠も無しに、一律に何割カットという裁断を行って、その範囲での予算の組み替えを下部組織に命じるといわれる。従って、大規模計画のスタート時点において、既に、必要経費よりも大幅にダウンした総予算の枠が決まっている事になる。この部分を問題にすれば、当然ながらその後が怖いので、この部分が表に出る事はないと予測する。
こんな一見理不尽な経費設定でも、かつての文部省では、知恵のある救済策が、表に現れない形で行われていた。加速器は、完成と同時に運転しなければならない。その運転経費は膨大なものである。その一部は、加速器のメインテナンスに使う事が予定されているのである。従って、少しの長期スパンで加速器の性能を上昇させるように、あらかじめ計画していれば、当初の予算不足の問題は、なんとか解消出来たのである。これが、実質的に、科学技術で成果を揚げる為の知恵だったと推定する。
J-PARCは文科省が担当である。理由はよくわからないが、予算の出方に著しい硬直性が見られるようになった。大規模な加速器の建設は、有る部分では、開発的な要素を伴うものであるが、そうした考え方が通用しにくくなったのである。例えば、ある部分の開発が少し遅れて、その部分の発注が伸びるなどという事は、到底許されない事と見なされる。ではどうするか。必要性の低い何かに予算を充てざるを得ないであろう。そのような事が全く無かったのかどうか。
加速器はその性能を追及しつつ建設が行われる。それは発注側の技術者と受注側とが、知恵を出し合って目指すべき作業である。仕様書だけで全てがすむわけではないのである。そこら辺の認識が、発注側と受注側の間に齟齬を生むと推定される。